黒糖ほうじ茶ラテ

ゲーム実況者のイベントに足を運ぶオタクの雑記。頭の中身を整理するだけの文章であるため、一切信用しないでください。

咳をしてもオタク


はじめまして。はるちゃといいます。自分語りが大好きなのでブログを始めます。


なんだかツイッターのタイムラインではてなを書く人がじわじわ増えているなあ、そういや3年くらい前にもブログ始めようと思ってはてな開設をし、ブラウザ上で打ち込んでたら全部吹き飛んで拗ねてそのまま辞めたんでした。今回はiPhoneのメモ帳に書いています。

その時のブログデータが残っていたのでこのURLで始めます。ダサ。



見る限り、現在の界隈でのオタク観、推し観みたいな要素について考えを述べるのが定石なのかなと思うのですが、まあ凝り固まらずに自由に、140文字でおさまらないことを発信できたらいいね。




一応自己紹介をします

はるちゃ。神奈川県在住。20代女性。4月から社会人になるため最後のモラトリアム(あと2週間も無い)を必死にバタ足しています。
10年ほど前からオタク。主に3次元の人を応援して生きてきました。


最初に好きになったのは嵐というアイドルグループです。お分かりの通り、花男新規ですね。花男以降にオタクになった人は永遠の新規とか当時言われてたし、たしかに今嵐ファンをしている人でも12〜3年前くらいまでに嵐にハマった人が大半なんじゃないかなあ。

花男で入ったので最初はしばらく松本潤くん担当でした。「僕が僕のすべて」という曲がとても好きで、当時小学校でいじめられていた私はこの曲に救われたわけです。

そのあと、AAA2008?はじめての国立競技場公演のDVDに収録されている「Hip Pop Boogie」(櫻井翔ソロ曲)を観て、櫻井翔くんに落ちました。そこから約6〜7年嵐ファンをやっていました。

地方の在宅オタクだったということと、あの頃は嵐が本当の本当に全盛期で、自名義だけではコンサートはまず当たりませんでした。そのため、当時の主なオタク活動としては、CDを買ったり、雑誌やカタログの切り抜きを集めたりしていました。

そのころ嵐がauのCMに出演していたんですが、嵐の直筆サインを原宿のauナントカビルに展示するという話を耳に入れ、高速バスを使い、長野県からはじめて、自分の意思で東京に出ました。母親も弟もいたけどね。


応援している人のために遠征したり、お金を貯めたり、ドラマや歌番組の時間に合わせて宿題を終わらせたり、"そういうこと"がとにかく楽しいんですよね。まあコンサートにはもっと行きたかったけど…。

両親はオタク、ファン活動なるものを受け入れてくれてはいたんですが、好きなアーティストがいてもライブになんて行かないよ〜、みたいな層の人間だったので、お金や時間を使いすぎることにはあまり良い顔をしませんでした。



結局、2013年頃までは嵐のファンをしていました。"担降り"した理由は、やっぱりあまりにもコンサートに当たらないし、お金がかかるからだった気がします。あとは、当時ツイッターで色々な嵐ファンの人と繋がっていたんですが(いまだに交流あるオタクもいる。今もみんな色々な界隈でオタクしているので流石)、周りのフォロワーも担降りブームみたいなことがあった。嵐の10周年フィーバーみたいなものでファンになった人たちが、ちょうど飽きてきたり他のフィーバーに乗り移ったりしたんだろうなあ。

あの頃のツイッターも楽しかったけど、毎日が黒歴史だったので戻りたくはないです。規制垢って何だよ、クワトロ規制垢まで持ってるやついたぞ。



あ、グッズとか雑誌とか、先日引越しをした際に大量処分したんですけど、やっぱり結構悲しかった。もう読み返さないし使うこともないけれど、当時の自分がこれを買うために一生懸命お金を貯めていたことは確かだし。ああいう気持ちが大事なんだろうなあと今でも思います。


ニコニコにハマったのは2012年くらいだったんですけど、流石にニコニコを知った経緯とかは省きます。アメーバピグで歌い手好きの人と知り合ったとかその辺だったと思います。ニコニコにハマってから男性声優にハマり、うたプリにハマり、他のアニメも見るようになり、実況動画を知り……といった感じです。



自分の(オタク人生の)中で大きかった存在が、嵐と実況なので、それ以外の話はきっとスカスカになっちゃうだろうな〜。ということで次は実況の話をしますね。


手が疲れたのでおやすみなさい。