黒糖ほうじ茶ラテ

ゲーム実況者のイベントに足を運ぶオタクの雑記。頭の中身を整理するだけの文章であるため、一切信用しないでください。

世界線としてのオタク

こんばんは、はるちゃと申します。


やっと、ようやくですが今のオタクの話をしようかな〜と思います。


私がLoiさんを知ったのはグループでの動画でしたが、本格的にハマったのはイベントがきっかけでした。過去もイベントがきっかけでハマってきたケースが多かったので(前までの記事参照)、今回も似たような感じだなと思ってはいたのですが、もしかしてイベントきっかけでハマるタイプのオタクって案外少ないですか?大丈夫ですか?


この記事ではないですが、前述したように実況者とイベントの関係性って特殊というか、見る人によって価値判断が異なってくるものだと思うので、詳細については後で考察しますが、それでも生身の人間を「応援したい」と思えるきっかけとして、イベントというものは真っ当なものであると思っています。


へっぽこ珍道中のイベントをきっかけに、ZLやらすろいイベントにも足を運ぶオタクとなりました。ちなみに、Loiさんは2019年3月現在もソロでのイベント出演がありません。元々ソロで実況デビューした人の中では特例なのではないでしょうか?有料chやグッズ販売なども無いため、お金の落とし所がわからない実況者の一人です。


Loiさんはゲーム実況というカテゴリで活躍していますが、歌ってみたの動画もいくつか投稿しています。最近では、歌を歌うイベントへの出演が多いです。Loiさん自身軽音部出身で歌が好きということもあり、実況者としてのイベントとはまた違った一面を見ることができますし、Loiさんの選曲は単純に私にブッ刺さるので歌のイベントは大好きです。



よく、推しの好きなポイントを聞かれて、その度に

(彼はゲーム実況者だから実況動画に言及した方がいいんだろうな…)

とも思うのですが、書いた通り私はイベントで彼の魅力を浴びた立場なので、動画上よりも、目の前にいる彼の仕草や喋り方、言動に好きポイントが偏っているタイプのオタクです。


立場に応じてボケもツッコミもこなすノリの良さ、しょうもないことにも全力で面白がる姿勢、歌を披露するにあたって実況者という肩書きが時に邪魔になりそうな瞬間、周りの人への面倒見の良さ、面倒見が良すぎて気を回しすぎるところ、タフな方ではあるけれどそれを上回るくらい頑張りすぎるところ、などなど、動画だけでは決して知り得なかった彼のパーソナリティにも興味があるし、好きだなと思います。


でもきっとそれはゲーム実況や歌の動画を投稿する「Loi」という人格フィルターがあってこそだからでしょうし、コンテンツとしての彼を応援、悪く言えば消費している立場です。




よくガチ恋なんですか?って聞かれることもあったけど、ガチ恋か否かの大きな違いって、コンテンツとして見ているか人格として見ているかの違いですよね。


そもそも、本名ではない名前で活動している以上、本来の人格の上にはハンドルネームのロールプレイングが少なからず存在すると私は考えます。


例えば私の本名はもちろん「はるちゃ」ではないですし、ツイートが120%事実な訳でもないし、載せる自撮りは加工済みだし、「〜〜〜だった。泣いた」とツイートしている時は大体泣いてません。



その、インターネットやハンドルネームを経由したロールプレイングに私はユーモアを感じ、共感し、元気をもらい、趣味を与えられています。それを多く享受するためにたくさんイベントに足を運んでいたら、イコールあいつはガチ恋だ、なんて、思考回路にしても単純すぎるのではないかと思うわけです。




今まで、"推し活"をしてきてしんどいと感じる瞬間は幾度となくあったのですが、今思い返すと、私自身が「人格」と「コンテンツ」を限りなく同一視していたことが原因なような気がします。


例えば、リプライが返ってこなかったことがあるとします。相手はロールプレイングのひとつと手段としてSNSをやっているわけだし、私だってフォロワーのリプライを蹴ることがあります。別にそれって相手に悪意があるわけではないですよね。
しかし、当時の私は、その行動を人格に重ねて見ていたので、「リプライが返ってこない=返したくない=私のことが嫌い」とヘンテコな被害妄想ばかりして凹んでいました。


この同一視って、自分のメンタルにも優しくないし、相手にも価値観の押し付けで迷惑なのに、それでもオタクってそういう些細なことでいまだに悩みますよね。だからオタクなのかもしれないけど。もういい年なので、さすがにその辺は分かってきましたが。



要するに実況者サイドの彼も、ファンサイドの私も、お互いただの趣味なんですよ。

そりゃもちろん生活のために活動している方もいるとは思いますが、あくまで私のケースは。
なので、彼の趣味を応援することが私の趣味だし、私の趣味を存続させることが彼の趣味なわけです。その関係性にそれ以上の意味もなければ深みもありません。そういう単純かつ読み切れない関係性が心地いいなと感じています(一方的にね。もしかしたら推しは私のことを忌み嫌っているかもしれないけどね!)。



差し入れとかフラスタの有無、規模でガチ恋!?というあらぬ偏見を持たれたこともありますが、それも趣味なんですよ。なんなら、私も、SNSやイベントを通じて「はるちゃ」のロールプレイングをしているので、その一環としてのファン活動なんですよね。

例えば「推しくん世界一かっこいい😣💓」と私が呟いてたとします。側から見れば盲目オタクなわけですが、冷静に考えると世界一かっこいいのは生田斗真ですし、そうなるとこの発言は「ロールプレイングとしての」世界線のひとつなんだなというわけです。



まあでも、こういう世界線という価値観が一致しない人だと、たしかにガチ恋とか思われちゃうのも仕方ないのかな〜と思うんだよな〜。


だって推しがスタッフとして出向いて1曲ゲスト歌唱するだけのライブで遠征する女、キモいもん…。




最寄駅に着いたので今回はこのあたりで。

わざわざ平日の昼間から(2)

こんにちは。はるちゃと申します。



前回の続きです。



セピコジ目当てで行った大阪のイベントで、私ははじめてえんもち屋のメンバーを生で見て、そしてまさしさんにハマって帰ってきました。

それからのスピードは当時の友人なら覚えていると思います。


抽選で手に入れたチケットのイベントは大阪の次の週の土日に開催されたのですが、この1週間の間に、私は手紙を書き、イラストなんて描けないのに下手くそな絵のポストカードを印刷し、差し入れを買いに行き、後これは本当に狂っていたなと思うのですがフラワーアレンジメントをオーダーしました。

動画見ていたとは言え、がっつりハマって1週間だよ…ハマったらなんでもやる性格だな〜と実感し始めます。



それ以降、ほとんどのイベントに参加しました。北は函館、南は福岡まで行ったし、始発で行って並んだし、神奈川の自宅から幕張メッセSSAは遠かったので近くにホテルを取って前乗りしてました。ツイッターの通知もつけてリプライをたくさん送っていました。FAもたくさん描いていました。

あの頃の熱は凄かったなと思うのと同時に、なんであんなにできてたんだ…とも未だに不思議。おそらく、それまで現場に行くのは一人が基本、フォロワーはいても深い仲にはなれなかったのですが、えんもち屋のリスナーは仲良くしてくれる人が多くて、だからこそ誰かと一緒にファン活動することが楽しかったんだろうなと思います。未だに全国各地にこの時に知り合った友人がいて、仲良くしてもらっています。当時も毎日朝5時くらいまでスカイプしてました。



ただ、やっぱり辛いことも多かったです。全通、とか最前、みたいなものの楽しさを知った後は、そうでない時の悔しさもあったので、もう意地みたいになっちゃうんですよね。べつに最前じゃなくてもイベントは見れるし、接触(というと言い方悪いのかな。対応?交流?)もできるのに、応援してるということをより伝えるにはどうしよう、みたいな。

あとはいつも最前張ってる人と会話したことないのにライバル関係みたくなって相互ブロックなのにやっぱり隣同士で最前張ってたりとか。バチバチでした。どのくらいバチバチだったかというと、お互いリア垢特定し合ってたくらいですかね…。元気にしてるかなー。
あと現役でファンやってる人には申し訳ないんですが、今も以前もあのグループって同担拒否の気が結構強いなと感じています。私が連番していた友人グループも推しは被っていなかったし、バチってた相手のグループも被ってなかったな〜というだけなんですが…。


バチりながらもしばらくオタクをしていたのですが、テンガさんの脱退をキッカケにいっきに熱を上げられなくなってしまい、そこからは他の実況者のイベントにもたくさん行きました。まあえんもち屋のイベントは全部行きつつだったんだけどね…。
やっぱり、あの4人が好きだったというのが一番だったし、テンガ推しの友人と連番することも多かったのでしんどくなっちゃったんですよね。不仲説とか色々あーだこーだ、オタクとの関係とか、なんか疲れちゃってですね。テンガさんが動画の編集だったり企画を担当してたことも多かったので、単純に笑える動画が減っていったというのも正直なところあったり。

あとは仲良いと思ってたオタクに裏切られて鍵垢晒されたりとかしてウケて、なんかこのままオタクしててもつまらんなと思ってた頃にへっぽこ珍道中のイベントに誘われて行って、後はそんな感じです。


去年友人に誘われてえんもち屋のイベント久しぶり(と言っても1年半ぶりくらい)に行ったら一番仲良くなかったはずの犬助にいきなりいなくなるのは寂しい!とか言われてウケました。まさしからは何も言われなかったので地味に悲しかった。




新橋でやった、休止してたはずのテンガさんが出てきて坊主になったイベント、マジでなんだったんだ?後ろの方で見てたからすねかく見に来てるな〜という記憶しかない。マジで。なんで坊主になったんだっけ?そのまま知らないうちにツイッター消してるし、完全になかったことになってるし、今月でchも閉鎖するし…
中途半端に事情も聞いていたので、モヤついたまま終わっちゃうのは少し残念ですけど、オタク(しかも元オタク)がなんか言ったところでどうにもならないからね…。

でも当時リスナーの方にイラスト依頼してカレンダー作ったり、そういう創作やオフ会はマジで楽しかったな〜もうあんな熱量で何かできることってないんじゃないかな〜ってくらい。




えんもち屋の動画巡回してる時に、ズッテンとかズッテンそでじぃとかに出会うのは必然だと思うんですが、それで並行してズズさんのイベントにも行ったりしてました。当時ズズさんはまだ大学生だったけど、当時からめちゃくちゃ東京来てましたよね…。
その感じで現へっぽこ珍道中知ったり、DARSを知ったりして、某が大学辞めたの笑ったりしてました。

闘会議で久しぶりにらすこーさんに会ったときに、春休み暇やな〜みたいな話をしたんだと思うんですけど、「来週大阪でへっぽこ珍道中のイベントするから来なよ」と言われ、本当に新幹線取って行ったのが、Loiさん推しになったきっかけです。





自分語り〜過去編〜はこのあたりで。

わざわざ平日の昼間から(1)

こんにちは。はるちゃと申します。


前の記事では自己紹介をするはずが過去のオタク遍歴、しかも嵐ファン時代のことだけを無限に語り連ねてしまいました。失礼…



今このブログを読んでくれている人はツイッターのフォロワーがほとんどかと思います、つまり嵐からの繋がりか実況で知り合ったオタクかデレマスで知り合ったオタクかゲーム実況者の方かピエール中野大森靖子か水溜りボンドのお二方のいずれかです。


フォロワーのほとんどが知らないんじゃないかな〜っていう話も結構あるし、時効かなって話もあるから話そ〜




まず、今応援している実況者は、Loiさんという方です。へっぽこ珍道中というグループでも活動しています。TGSでのステージ出演、サーキットライブイベントで渋谷O-WESTでのステージ出演、メジャーCDデビュー経験などがある社畜の方で男性です。

最初に知ったのは3年ほど前、他の実況者がきっかけで、イベントにはじめて行ったのは2年くらい前です。それ以降のヤツは8割ほどの出席率でやらしてもらってます。




こういうこと普通に書くんですが、ふと思うわけです。

「実況者」のファンなのに、まず語るのって「イベント」についてなの?

これ自分でもわりとずっと疑問。


実況者のイベントってそもそも何?(何?)
実況者のファンはイベントに行かなきゃダメなの?そして、イベントに行くのがえらいの?という話。



まあ、その前に
私がゲーム実況者距離ド近イベント常連女になった経緯(自分語り)でも…


ご存知の人も多いかと思いますが、はじめて視聴したゲーム実況動画はキヨのデカボイスシリーズです。なんか、アカペラ?ヒューマンビートボックス?の動画にハマってて、探している時に「全部声」「全部俺」のようなタグ検索をしていて偶然知ったんだよな…
でも、アブのアイワナとかオワタの大冒険とかから実況入った記憶もある。この頃に高校を辞めたりしていて(行きたくなかったため…)、暇だったから1日中見てて記憶混ざったんだろうな


頭を使わずに視聴できて、かつ笑える、元気が出る動画ってすごいよね。それから、私自身ゲームをプレイするのは得意ではないし、友達もいなかったので、複数人でワイワイやってるような動画を特に好んで見ていました。そうすると出会うんですよね。


わたしたち、チームTAKOSに人生狂わされた芸人で〜す



いやまあ、狂ったっていったらアレだけど、それまでただの「視聴者」だったものが、完全に「ファン」になってしまった。動画ではなく、その人達の喋りや掛け合いが目当てと変わった瞬間です。
これって結構大きい違いだと思うんです。ツイッターで実況垢を作ったのもこれがきっかけです。絵なんて描けないしドドドド新規ファンで何もわかってないけど、好きな実況者のことを語りたい!という衝動に駆られました。


当時はまだ関東に住んでおらず、地方の高校生だったので動画を視聴するだけだったのですが、当時進路のことを考えるにあたって上京をする以外の選択肢はありませんでした(地元で進学という選択肢はそもそもなかった)。実況者のツイッターをフォローしていたのでイベントがあるということは知っていて、上京したら絶対行くぞ!という心意気だけはありました。

ですが、当時はまだ超会議、闘会議、わくフェスくらいしか実況イベントを知らなかったし、そのほかは個人が小さなトークイベントを開催するくらいだったと思うんです。一部の音楽活動されてる方を除いて…。まだレトさんがコミケ出てたもんな。



上京したくて、高卒をゲットするために課題なんかを片付けつつ、大学受験のため予備校に通っていましたが、そんな時私は「音速兄貴」の1stライブの知らせを耳にします。時期的には進路決まったあとだったかもしれないけれど…まあ毎日上京に向けて浮かれてた時期ですね。

音速兄貴っていう実況者バンドがありまして、recog、towaco、ふぁんきぃ、セピア、5月病マリオの5名からなっています。結成当時の配信から見て応援していた(towacoがギターガチ初心者で成長応援バンドとか言われてましたよね)ので、1stライブは絶対行きたかったんですが、個々人もかなりメジャーな方なのに、会場が渋谷WWWな上にチケ発はe+先着のみでした。


今思い返せばここが転機というか、終わりの始まりなんですが、当時チケ発になんて慣れてなかったはずの私が、チケット取れたんですよね…。


キャパは今調べたら450だったので予想より入ってたけど、ライブ演奏以外にもコーナーがあったから一部そのために削れていたし、その際お客さんがしゃがめるくらいには余裕持たせてたので下手したら350とかだったんじゃないかな。適当に言ってますが。


無事チケ発に勝ち、上京することになったはるちゃちゃんは、これをきっかけに実況イベントというものに足を踏み入れたのでした。




自分語り、長くない?



続きます。




もともとチームTAKOSの中ではつわはすとセピアが好きで、つわセピP-Pのリズム天国とかめちゃくちゃ見返してたんですが、まあ音速兄貴のライブなんかも行ってセピア推し?になりました。

音速兄貴のライブや超会議などの大型だけでなく、セピアさんの単独やゲスト出演のイベントなどにも参加しました。一応遠征っていう概念も頭にはあったんですが、広島書店会議?が初手とかだったので、流石に広島には行かなかったみたいです。



これ今考えるとマジでヤバいし若かったから出来てたのかなと思うし当時のこと知ってる人本当ごめん大爆笑してくれポイントなんですが、当時はるちゃちゃんは原宿系とかゆめかわいい系にどハマりしていました。服装や髪色、アクセサリーなどを揃えて好きなものを着るのが楽しかったんです。
や、今でも可愛いお洋服やアクセサリーは大好きだったんですが、まあなんというか、当時は全頭金髪のツインテール、ピアスじゃら、全身パステルカラーでふわふわした生地の洋服、派手なカラコン、みたいな感じだったんですよね………。

まあそんな感じの見た目だったんで、当たり前ですがすぐに認知されました。名前はあまり名乗ったりしない(毎回忘れる)ので顔認知だけだったかなと思いますけど、「いつもありがとうございます〜」みたいなことは言ってもらえてました。そりゃそうだ。毎回コレがいたら嫌でも分かるわ。



結構セピア推しも楽しかったんですけど、実はイベント行き始めて半年くらいで推し変をしています。
この年の夏につわはすが爆発したりもあって、平和組とかTAKOSを見るのがしばらくしんどかったとかもありましたね…。


推し変をしたきっかけは、友人にチケ抽選の協力を頼まれたとある実況者のイベントが偶然当たったことでした。友人1枚分でよかったのに2枚当選させてしまったので当日は彼女と連番することになったのですが、その時ほとんど彼らの動画を視聴したことがなかったので、当選してから動画を履修し始めました。今考えたら既存のファンの方ごめんなさいねって…。オススメ動画を布教される毎日です。

そんな中、セピコジでの町会議出演が決まり、大阪だったので夜行バスで遠征することになります。この町会議、ゲーム実況ステージに出演する実況グループがもうひと組いる!しかもチケット当たって今度イベント行くグループじゃん!と、私はいつも1人参加なのも悲しかったので友人を誘い、2人で大阪に行きました。


そこから、えんもち屋というグループにハマっていきます。




これオタク自伝みたいになってるけど振り返った時超恥ずかしいし気持ち悪いしこれこそが黒歴史なんだろうけど大事なところだけを要約して書くっていうのが世界一苦手で、こうダラダラ続けてしまうんだよなあ…。

朝ごはん食べてきます。

咳をしてもオタク


はじめまして。はるちゃといいます。自分語りが大好きなのでブログを始めます。


なんだかツイッターのタイムラインではてなを書く人がじわじわ増えているなあ、そういや3年くらい前にもブログ始めようと思ってはてな開設をし、ブラウザ上で打ち込んでたら全部吹き飛んで拗ねてそのまま辞めたんでした。今回はiPhoneのメモ帳に書いています。

その時のブログデータが残っていたのでこのURLで始めます。ダサ。



見る限り、現在の界隈でのオタク観、推し観みたいな要素について考えを述べるのが定石なのかなと思うのですが、まあ凝り固まらずに自由に、140文字でおさまらないことを発信できたらいいね。




一応自己紹介をします

はるちゃ。神奈川県在住。20代女性。4月から社会人になるため最後のモラトリアム(あと2週間も無い)を必死にバタ足しています。
10年ほど前からオタク。主に3次元の人を応援して生きてきました。


最初に好きになったのは嵐というアイドルグループです。お分かりの通り、花男新規ですね。花男以降にオタクになった人は永遠の新規とか当時言われてたし、たしかに今嵐ファンをしている人でも12〜3年前くらいまでに嵐にハマった人が大半なんじゃないかなあ。

花男で入ったので最初はしばらく松本潤くん担当でした。「僕が僕のすべて」という曲がとても好きで、当時小学校でいじめられていた私はこの曲に救われたわけです。

そのあと、AAA2008?はじめての国立競技場公演のDVDに収録されている「Hip Pop Boogie」(櫻井翔ソロ曲)を観て、櫻井翔くんに落ちました。そこから約6〜7年嵐ファンをやっていました。

地方の在宅オタクだったということと、あの頃は嵐が本当の本当に全盛期で、自名義だけではコンサートはまず当たりませんでした。そのため、当時の主なオタク活動としては、CDを買ったり、雑誌やカタログの切り抜きを集めたりしていました。

そのころ嵐がauのCMに出演していたんですが、嵐の直筆サインを原宿のauナントカビルに展示するという話を耳に入れ、高速バスを使い、長野県からはじめて、自分の意思で東京に出ました。母親も弟もいたけどね。


応援している人のために遠征したり、お金を貯めたり、ドラマや歌番組の時間に合わせて宿題を終わらせたり、"そういうこと"がとにかく楽しいんですよね。まあコンサートにはもっと行きたかったけど…。

両親はオタク、ファン活動なるものを受け入れてくれてはいたんですが、好きなアーティストがいてもライブになんて行かないよ〜、みたいな層の人間だったので、お金や時間を使いすぎることにはあまり良い顔をしませんでした。



結局、2013年頃までは嵐のファンをしていました。"担降り"した理由は、やっぱりあまりにもコンサートに当たらないし、お金がかかるからだった気がします。あとは、当時ツイッターで色々な嵐ファンの人と繋がっていたんですが(いまだに交流あるオタクもいる。今もみんな色々な界隈でオタクしているので流石)、周りのフォロワーも担降りブームみたいなことがあった。嵐の10周年フィーバーみたいなものでファンになった人たちが、ちょうど飽きてきたり他のフィーバーに乗り移ったりしたんだろうなあ。

あの頃のツイッターも楽しかったけど、毎日が黒歴史だったので戻りたくはないです。規制垢って何だよ、クワトロ規制垢まで持ってるやついたぞ。



あ、グッズとか雑誌とか、先日引越しをした際に大量処分したんですけど、やっぱり結構悲しかった。もう読み返さないし使うこともないけれど、当時の自分がこれを買うために一生懸命お金を貯めていたことは確かだし。ああいう気持ちが大事なんだろうなあと今でも思います。


ニコニコにハマったのは2012年くらいだったんですけど、流石にニコニコを知った経緯とかは省きます。アメーバピグで歌い手好きの人と知り合ったとかその辺だったと思います。ニコニコにハマってから男性声優にハマり、うたプリにハマり、他のアニメも見るようになり、実況動画を知り……といった感じです。



自分の(オタク人生の)中で大きかった存在が、嵐と実況なので、それ以外の話はきっとスカスカになっちゃうだろうな〜。ということで次は実況の話をしますね。


手が疲れたのでおやすみなさい。